「焼酎によ~、カウンターに置いてある 梅えき をチョロっとたらしてやるんだよ~!」
酒倶楽部ステップの周辺、埼玉県南部に位置する蕨、川口、戸田あたりは、戦後には工場(こうば)がたくさんあった労働者の街だったと聞きます。
酒倶楽部ステップもまだシバタヤと名乗っていた時代、蕨の駅前通りで「角打ち」と呼ばれた一杯飲めるカウンターを設けておりました。
そのカウンターには、もちろんお醤油瓶に入れた「梅えき」。
そんな状況を勝手知ったる工場に働く方々は、焼酎に好みの量を焼酎に加えて飲んだのです。
昭和30年代ごろの話でしょうか。
そんな、焼酎に味付けするために、たぶん戦後に開発された、今風に言えば焼酎用フレーバーのご紹介です。
【天羽の梅 各種】
「いや~オレが東京に出てきたころは楽しかったよ~!」
先日、ある社長さんから聞いたお話です。
中学を卒業して東京の下町に上京したその当時の社長さんは、どちらかで丁稚さんのような立場だったようです。
その当時の東京はある意味、にぎやかで混沌とした活気に満ち溢れていた様子でしょうか。
酒場に行けば、必ず紹介屋とよばれるような方々が居て、ご婦人方には話しにくいのですが、その当時まだ多かった未亡人との、飲んだ後のマッチングのビジネスを行っていたのだとか(汗)。
また、未亡人と同じく さかさクラゲ と呼ばれた簡易宿泊施設もその当時はたくさんあり、そっちも手配してくれたのだとか。
まだゆるい時代です。当時の社長さんには、近所のお巡りさんが、その辺の世渡り術を指南したというから驚きです。
曰く「オレはそんな風に大人にさせてもらったんだ!」と。
お巡りさんは、いつもほっぺたをひとさし指でなぞり、そしてまた親指を立てて、「これと、これ持ちには、ぜったい気を付けなきゃダメだぞ!」といつも厳しく諭していたとのこと。
戦後のいかにも昭和っぽい混沌とした時代の話です。
ノスタルジックであり、カオスな昭和の味わい。
「天羽の梅」はそんな味わいなのかも知れませんね。
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